[ ドブロヴニク編 ]

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プラツァ通り〜ルジャ広場

ピレ門からルジャ広場まで続く約200mのプラツァ通りは、旧市街のメインストリート。この通りは7世紀まで細長い海峡で、この通りより南側は岩礁でした。移住してきたスラヴ人から逃れるために、ローマ人がこの上に作った「ラグーサ市街地」が本当の意味での「ドブロヴニク旧市街」となります。
大理石の石畳が日に照らされて美しく輝くプラツァ通り。
これらの写真は、ルジャ広場側からピレ門方向をみていて、
左手が南(かつてのラグーサ市街地)、右手が北(かつてのスラヴ人居住区)。
左の大きな写真
レストラン「プロト」のある通り。
(ラグーサ市街地側)
カフェやレストランがある路地。
(スラヴ人居住区側)
■ルジャ広場
プラツァ通りの東端にある広場。
広場に面した時計台とスポンザ宮殿。
対面には聖ヴラホ教会。
広場はいつも人が多くて賑やか。
早朝の聖ヴラホ教会。
行き交う人はまだまばら。
大きな写真
ローラント像。
右ひじから手首までの長さ(51.2cm)
が取引の長さの基準とされていました。
朝7時前になるとひとや車の往来が増えてきました。
(旧市街は昼間、車の乗り入れが禁止されていますが、
早朝は業務用車両をちらほら見かけました)
■スポンザ宮殿
スポンザ宮殿は税関として
使われてきました。
現在は資料館として
一部が公開されています。
1520年ごろに建てられたもの。
大震災での破壊を逃れ、当時の姿を
残しています。
扉の上部に施された
ラグーサ共和国の紋章。
■オドプチャ通り
プラツァ通りの一筋南に平行して走る通り。早朝に散歩しました。
セルビア正教会。
キリスト教以外の宗教施設の建築を
禁止していたラグーサ共和国の消滅後、
1877年に建てられたもの。
早朝、石畳を磨き上げる清掃車。
プラツァ通りでも走っていました。
ピカピカの石畳はこうして守られて
いるんですね。

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旧総督邸〜聖イグナチオ教会


プロローグ城壁ウォークスルジ山トレッキング(その1)(その2)ピレ門〜オノフリオの噴水フランシスコ会修道院プラツァ通り〜ルジャ広場旧総督邸〜聖イグナチオ教会旧港〜聖イヴァン要塞ドミニコ会修道院〜プロチェ門ロヴリイェナツ要塞夜のプラツァ通りドブロヴニク夜景(パノラマ)


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