[ 東山魁夷館 永遠の風景(内覧会) ]

海外の風景

日本の風景

イベント

季節の風景、行事、
特別展ショット

別館

カメラ仲間でもある
相棒の部屋


東山魁夷館・特別展:東山魁夷 永遠の風景(3)
−旅の終着点へ−


白馬を描き始めた頃の青々とした自然、光や風が感じられる「陽」「動」の作品。そして、歳を重ねるほどに増えてくる晩秋、雪景色といった「陰」「静」の部分。精力的に制作活動を続けていく中で、人生のはかなさ、その次の何かが見えてきたのではないかと思えてなりません。実在ではなく心の風景を描いた晩年の作品「夕星」を見ると、より特にその思いは強くなります。

"ある時、どこからかこの世にやって来た私は、やがて、どこかに消え去っていく。いままでに実に多くに人と巡り合い 、また、別れてきた。歳月の推移、境遇の変化、心の遍歴−人はみな旅人である。この一筋の寂しい道こそ、私の心の道 である。「描くこと」は、「祈ること」であることは、終始一貫して私の信条である。"
衰えぬ制作意欲
行く秋(1990年)<本制作>

「黄金のタペストリー」は岩絵具だけでは表現できない…そこで金箔を散らした作品が出来あがりました。取材場所は、日本でなくドイツ北部。赤や茶色、まだらの枯葉を見慣れている日本人にとって、一面の黄葉というのはとても輝いて見えるに違いありません。
大きな写真
霧氷の譜(1985年)<本制作>
こちらは銀世界。
氷は一様でなく光の当たり方で
様々な見え方をしています。
美しく、そして寒そうです。
静晨(1990年)<本制作>
東山魁夷館の起工式のとき、郊外で
出会った風景。一面真っ白ではなく、
生命を感じる木立とのツートンに
制作意欲を掻き立てられたようです。
最後の作品
左から、夕紅(1996年)、木枯らし舞う(1997年)、夕星(1999年) 。
80代後半から90歳の作品。「木枯らし舞う」では心のざわめきのようなものを感じます。
(いずれも本制作)
夕星(1999年)<本制作>

絶筆。夫人によると、何度も筆を入れ直しているうちに、パリの公園から信州のような風景なっていったそうです。体力的に厳しい中、心のふるさとを思い起こしながら描いていたと思うと、こみ上げるものがある作品です。天に瞬く星は、いつまでもこの美しい自然を見守っていきたいという思いでしょうか。
晩年まで絵を描き続けた東山魁夷。

彼の作品は、緊張感があったり、さみしげな雰囲気があったとしても、見ているうちになにかひとをホッとさせる優しさを持っています。

絵の題材を探して歩いていると「山の方が描いてと話しかけてくる」ことがあるといいます。それは、魁夷が内に持つ、自然に対する愛情からくるものだと思います。だから、さみしさのある表現さえ優しさを持った美しさとなるのでしょう。


愛用の画材展示もありました。

絵具は白馬の絵の代表的な色、青と緑。
トレードマークのハンチングもあります。

東山魁夷館ロビーからは、魁夷が愛した信州の山や木々、そして池が見えます。
隣接する善光寺の霊園に眠る魁夷も、同じ自然の景色を眺めて安らいでいることでしょう。

西洋絵画ほどの派手さはない日本画界で、東山魁夷という知られた画家の知られた作品が多数展示されるこの特別展、都市部だと混雑必至ですが、こちらでは静かな気持ちで絵と向かい合うことができました。

東山魁夷館は善光寺のすぐそばにあるので、観光がてらでも立ち寄りやすい立地。ちょっと遠出をしてでも、この機会にぜひ訪れてほしいスポットです。(本堂を右に曲がってまっすぐ行くと、美術館のある公園に着きます)

最後に、このような素晴らしい絵画に触れ、伝えられる機会をくださった関係者の皆様、ありがとうございました。

長野県信濃美術館・東山魁夷館 公式サイト

イベントショットのトップへ

はじめに(1)さまざまな風景と出会う(2)心を写す情景を描く (3)旅の終着点へ

▲ページのトップへ戻る