昭和4年、日本陸軍は化学兵器としての毒ガスを製造する工場を大久野島に設置。当時、大久野島は地図から削除されていました。戦後GHQなどにより徐毒処理がおこなわれましたが、毒ガス工場があったという事実は、1984年に報道されるまで関係者以外には秘匿とされていました。現在でも、毒物が残っている危険性があったり、建物が崩壊の危機にあるという理由で、環境省によりほとんどが立入禁止とされています。 |
■旧軍施設 |
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長浦毒物貯蔵庫跡。当時年間1200tの
毒ガスを生産。黒くなっている所は、
火炎放射器で消毒した跡です。
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毒ガス貯蔵庫跡。毒液80tの
収容能力があったという。連合軍により
土で埋められ、姿はほとんど見えず。 |
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休暇村のすぐ北にある毒ガス貯蔵庫跡。タンクが載せられていた台が残っています。 |
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野ざらしタンク跡。
台だけがずらりと並んでいます。 |
医務室跡地に残された樹木と
移設された当時の消火栓。 |
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発電所跡。毒ガス製造のための電気を発電していた施設です。 |
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研究室跡。毒ガスの製造管理や資料保管、毒ガスの検査などがおこなわれていました。 |
■慰霊施設 |
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大久野島神社。工場開所の際、
従業員によって修復され、さまざまな
行事に使用されました。 |
本殿には、うさぎの額が
奉納されていました。 |
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境内にある殉職碑。
工場で働いていた犠牲者の
鎮魂のため建てられました。 |
毒ガスによる被害者の慰霊と
平和への思いが込められた
慰霊碑。 |
■資料館 |
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毒ガス資料館。当時の作業着や
毒ガス製造蔵置、写真等が展示
されています。
(館内撮影禁止) |
屋外には、毒ガス製造時に使用された
配管やタンクなどが展示されています。 |
【毒ガス資料館DATA】
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