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仏像・神像76体が2つの展示室にズラリ。
うち40体が国宝、重文を含む指定文化財という。 |
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天部形立像(海南市・春日神社)
平安時代(11世紀)の一木造。
本殿床下に隠されていたのだとか。
廃仏毀釈運動では、仏教は外来の宗教、
国教を見直そう、という理由でお寺や
仏像が壊されたりして、たいへんな
時代だったようです。 |
愛染明王立像(紀の川市・円福寺)
神仏分離(神仏習合をやめ、神道と
仏教を分けようという考え方)の際、
神社境内からお寺に移されました。
明王は仏教にインドの神々が融合
していて、見た目も如来より外来の
神って印象が強いです。 |
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今回の展示物には、4点の国宝が含まれています。
新宮市・熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)の神々の坐像です。
仏教的要素は入っておらず、日本固有の神の姿。
いずれも平安時代(9~10世紀)の作品。
神社では社殿をお参りしても神像を目にすることはほぼないので、とても新鮮! |
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熊野速玉大神坐像
唐草模様の冠が印象的な男神像。
高さは1mを超えます。
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夫須美大神坐像(ふすみのおおかみ)
やさしさのある表情とやわらかなライン
をもつ女神像。高さ98.5cm。
4体の中ではもっとも早く国宝に指定。
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伊邪那岐神坐像(いざなぎのかみ)
上の熊野速玉大神とともに安置。
高さ26.6cmと大神より小型。重文。
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伊邪那美神坐像(いざなみのかみ)
上の夫須美大神坐像とともに安置。
高さ37cm。重文。 |
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大日如来(有田市)
平安時代(1062年)作。正善寺に伝来。
大日如来は菩薩と如来の間にあって、
如来ですが装飾性も備えています。
本作は、銘文から制作年代が明確であり、
基準作例とされています。重文。
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地蔵菩薩坐像(有田川町・歓喜寺)
平安時代(9世紀)作。
地蔵は菩薩でありながら着飾らない
身近な僧侶の姿をしています。
大人な風格のあるお地蔵さんです。
重文。 |
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十一面観音立像(印南町)
名杭観音講蔵。平安時代。
住民が守ってきた仏像。静かで
やさしい笑みをたたえています。
和歌山県指定文化財。
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十一面観音立像(有田市)
円満寺蔵。奈良時代らしい、
スラリとした観音像。胸元の装飾や
衣のひだの表現が美しいです。
重文。
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十一面観音立像(有田市)
広利寺蔵。南北朝時代。
今回展示の中で、一番見惚れた
観音像。優美な中に力強さも
感じました。重文。
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観音菩薩立像(和歌山市)
霊現寺蔵。鎌倉時代。運慶、快慶
周辺の仏師作。神々しく繊細な
装飾は、当時のものです。
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不動明王立像(個人蔵)
鎌倉〜南北朝時代の像。
彩色や装飾は当時のもの。
スゴイ迫力です!
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阿弥陀如来坐像と不動明王立像、
毘沙門天立像(九度山町)
西光寺蔵、平安時代後期。
高野山麓にある寺の本尊。
今年、町指定文化財に指定。
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役行者倚像(紀の川市)
室町〜江戸時代の作品。
役行者(えんのぎょうじゃ)は仏像
らしからぬ風貌。修験道(山伏で知ら
れる、あの修行)の祖で、神変大菩薩
の名が与えられたというから、日本
独自の仏様ですね。こちらの像は
2010年盗難にあい、のちに無事戻って
きたそう。(弟子の前鬼と後鬼は今も
行方不明) |
随身坐像(紀の川市)
鞆淵八幡神社伝来、平安時代作。
左の像だけが知られていて、
2009年に右の像が発見されて、
戻されたそうです。こうして2体
並んでいるのを見ると、1体だけ
とは印象がずいぶん違って、
なんだか微笑ましいですね^^ |
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阿弥陀如来坐像(和歌山市)
平安時代の仏像。
2010年から翌年春にかけて、
仏像172体以上が盗難の被害に!
こちらは古物商から回収された
仏像のひとつ。
所蔵不明のため博物館で保管。
仏像の造りは大胆、台座と光背の
彫刻は丁寧です。
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阿弥陀如来坐像(和歌山市)
善楽寺蔵。平安時代。
和歌山市から紀の川市周辺では、
2017年から翌年春にかけて、60点
の仏像が盗難の被害に。このことを
きっかけに、この地域にどれほどの
文化財があるのか把握するための
調査を開始。中世に造られたことが
明らかになったものもあり、これは
そのひとつ。光背の透かしが見事。
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阿弥陀如来坐像(有田川町)
歓喜寺蔵。南北朝時代。
静かな表情の中に、凛としたものを
感じます。作品としては、この時代の
仏像が好みかも。重文。
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お身代わり仏像による文化財保護
有田川町は保護し続けることが難しく
なった観音菩薩立像を博物館に寄託。
今は3Dプリンタと着色により
作られた複製が奉納されています。 |
【DATA】
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