てんこもりの写真で旅気分♪ |
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[ 大阪歴史博物館・はにわ大行進〜長原古墳群と長原遺跡 ] |
海外の風景日本の風景イベント別館 |
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武人形埴輪 長原45号墳(5世紀前葉) 眉庇付冑(まびさしつきかぶと)、 肩甲(かたよろい)、短甲、 草摺(くさずり)を身にまとう。 大きな写真 |
武人形埴輪は、後頭部や背中の装飾も 見れるよう展示されています。 手足はもともとありません。 大きな写真 |
巫女形埴輪 長原87号墳(5世紀末) 髷を結い、捧げ物をもつ巫女の姿。 大きな写真 |
武人形埴輪 長原150号墳(5世紀中葉) なんとなく武人っぽさはありますが… 寸胴なフォルムは踊る埴輪系? |
冑形埴輪 長原高廻り2号墳(4世紀後葉〜末) 前が尖った形の冑です。 |
盾形埴輪 長原高廻り2号墳(4世紀後葉〜末) 円筒型に盾を貼り付けています。 上に、左の冑形埴輪を差しこんで 武人をあらわしていたとされます。 |
盾形埴輪 長原高廻り2号墳(4世紀後葉〜末) 大きな埴輪で、こちらにも背面に盾を立てるための円筒がついていたそうです。(現在は剥がれてしまっているため、寝かせて展示) 大きな写真 |
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短甲形埴輪 長原高廻り2号墳(4世紀後葉〜末) 鉄板をとじ合わせた長方板皮綴短甲を 模したもの。 大きな写真 |
草摺形埴輪 長原高廻り2号墳(4世紀後葉〜末) 草摺(くさずり)は短甲の裾に垂らす防具。 草をする部分だから草摺ってなかなか センスのあるネーミング。 左の短甲形とペア。 |
上の2つの埴輪は、左の写真のように短甲形を草摺形に差し込んで使われていたとされています。 パーツ単位にすることで、担当を分けて制作する、サイズが小さく焼きやすい、破損リスクが少ない、などのメリットがありそうです。 (左は会場の展示写真。古い写真なのか、赤い顔料が今より映えてます。) |
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短甲形埴輪 長原高廻り1号墳(4世紀末〜5世紀初) 木製短甲を模したものとされる。 鉄板製との線刻の違い、わかりますか? 大きな写真 |
草摺形埴輪 長原高廻り1号墳(4世紀末〜5世紀初) 左の短甲形とペア。 足元が円筒埴輪っぽい。 |
家形埴輪 長原高廻り1号・2号墳(4世紀後葉〜5世紀初) 切妻屋根の家形埴輪が3つ並んで展示。 当時の家の造りを知る資料として貴重なものとされています。 |
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家形埴輪 長原高廻り1号墳(4世紀末〜5世紀初) 3点のうち1号墳からは左右の2点が出土。 ほか、高床構造の家型埴輪も出ているそう。 |
家形埴輪(参考) |
船形埴輪 長原高廻り1号墳(4世紀末〜5世紀初) 脚台付のゴンドラ状の船。縁のギザギザは オールを置くためのピボット。全長1m弱。 大きな写真 |
船形埴輪 長原高廻り2号墳(4世紀後葉〜末) 全長1.2mを超える埴輪。 船首と船尾が上下に分かれる二体形成船。 大きな写真 |
馬形埴輪 長原87号墳(5世紀末) 動物埴輪の中でも一番に思い浮かべる 馬は、4世紀末ごろ朝鮮半島から渡って きた最先端の乗り物。高い身分の象徴。 大きな写真 |
馬形埴輪 一ヶ塚古墳(85号墳)(4世紀末〜5世紀初) 口元や馬具が丁寧に作り込まれています。 全身残っていれば、かなりリアル だったかもしれません。 |
鶏形埴輪 長原87号墳(5世紀末) 埴輪は中空で目を穴で表現していることが 多いですが、これは珍しく粘土を貼りつけて 目を作っています。(鶏冠と尾羽も貼付) |
鶏形埴輪 長原45号墳(5世紀前葉) 形を単純化したゆるキャラ的な雄鶏。 焼き色も温かみがあっていい。 |
鞆形埴輪 一ヶ塚古墳(85号墳)(4世紀末〜5世紀初) 弓を射るとき、弦が腕に当たらないよう 手首につけた鞆(とも)という武具を かたどったもの。実物よりかなり大きく、 パッと見オットセイかと思いました…。 |
囲形埴輪 一ヶ塚古墳(85号墳)(4世紀末〜5世紀初) 囲形(かこいがた)は一見屋根のない家 に見えますが、家を囲む塀の埴輪です。 中に置く家形埴輪とセットで見つかる ことが多いそうです。 |
衣笠形埴輪(笠と立飾り) 長原190号墳(5世紀末) 日傘を模したもので、柄の部分は脚台に。 |
衣笠形埴輪(笠) 長原遺跡(4世紀末) 下の部分のみ。 |
円筒埴輪 円筒埴輪は初期のころからあり、古墳を囲むように配置されるため (この世と聖域を区別するように)埴輪の中では圧倒的多数派。 右手から左へと時代は進み、新しくなるほど小型化されます。 |
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朝顔形埴輪 長原193号墳(5世紀末) 朝顔形は円筒埴輪の変型判という イメージですが、供物の入れ物と その台を模したものとされています。 |
鰭付朝顔形埴輪 長原遺跡(4世紀末) 古いから大きいのかと思いましたが、 埴輪棺の可能性が高いとか。 上部が朝顔形になってないのは、 その部分が失われているから。 |