[ 京都市京セラ美術館・国立ベルリン・エジプト博物館所蔵〜古代エジプト展 ]

海外の風景

日本の風景

イベント

季節の風景、行事、
特別展ショット

別館

カメラ仲間でもある
相棒の部屋


京都市京セラ美術館・国立ベルリン・エジプト博物館所蔵〜古代エジプト展
2章 ファラオと宇宙の秩序


法がまだない古代エジプトでは、神からのマアトによって秩序は保たれていました。マアトというのは宇宙の哲学・摂理で、ひととして生きていくうえで遵守しなければならない道徳。民主主義では自主性に任せることになる難しそうなこの制度、身分の高いものが神の信託を受けて民衆に伝える、となれば話は違ってきます。

この「マアト」の運用は時代が移るにつれて変化、それが出土品にも表れています。古王国時代はファラオのみが神々とマアトを交換できる存在で、神官が供物を捧げるなどの代行をしていました。中王国時代には高位の人も神に願をかけたり仲介ができるようになり、新王国以降は個人的がさまざまな神々を信仰するようになりました(アテン神のみとしたアクエンアテン王の時を除く)。この時代は小像や装飾品などのグッズ(といっていいのかな)が豊富で、見ていて楽しいです。
ファラオとマアトの展示

ここまでベルリンにたくさんのコレクションがある理由ですが、19世紀末から20世紀初期にかけての発掘調査では、エジプトと指揮した国に平等に出土品を分ける取り決めがあったそうです。特にネフェルティティの胸像に代表されるアマルナ美術は、「世界のどの美術館にも、ベルリンのような高い品質と量を兼ね備えたアマルナ美術は存在しない(図録より)」と言い切ってしまうほどの質の高さです。(後半に紹介)
アメンエムハト3世と思われる
礼拝する王の立像。
中王国(B.C.1853-1806)
額の聖蛇と腰布はファラオの衣装。
片足を前に出すのもそうですね。
トゥトアンクアメン(ツタンカーメン)王の
前で腰をかがめる延臣たちのレリーフ。
新王国(B.C.1333-1323)
前のめりに進む姿かと思ったら、
深々とお辞儀をしている姿でした。
大きな写真
デモティックが記された香炉
プトレマイオス(B.C.323-30頃)
中央の器が香入れ。そこに刻まれたデモティックは民衆文字。
ヒエログリフのようなデザイン性はなく、実用的な筆記文字です。
ハトシェプスト女王のスフィンクス像
新王国(B.C.1479-1458頃)
ハトシェプストの時代、ファラオは
理想の姿として描かれていて、見分ける
のがむずかしいのだとか。
大きな写真
ハトシェプスト女王あるいはトトメス3世の
スフィンクス像頭部
新王国(B.C.1479-1425頃)
ハトシェプストは女性ですが、
男性のような付け髭をつけた表現と
なっています。
エジプト人とアジア人を描いた
セティ1世王墓のブロック
新王国(B.C.1290-1279頃)
王家の谷のセティ1世埋葬室の一角。
左がエジプト人、右がシリア人。
大きな写真
メニトのおもり
(ハトホル女神の宗教儀式の道具)
新王国(B.C.1388-1351頃)
細工の細かさに目を見張った逸品。
大きな写真
二重冠を被ったハヤブサで表された
ホルス神の小像。
末期王朝時代(B.C.664-332頃)
青銅製、高さ26cm。
聖蛇(ウラエウス)のついた冠と
襟元の模様が威厳を添えています。
大きな写真
トキの姿をしたトト神、
2匹のヒヒとマアト女神を伴う祠堂。
末期王朝(B.C.664-332頃)
トキもヒヒも、知恵の神トト神。
中央はマアト女神。太陽神ラーの
娘で、世界秩序の守護者です。
知恵と秩序で良き人生が送れる
ことを願った、神殿への奉納品。
礼拝するヒヒの姿をしたトト神と
アメンヘテプ3世
新王国(B.C.1388-1351頃)
高さ134cmの立像。
マアトを守る支配者として、
神の任命を受ける王の姿。
大きな写真

王の書記ホリのステラ
新王国(B.C.1126-1125頃)
彩色の残る石碑は、ホリの奉納品。
上段には、マアト女神の像を掲げる
ラムセス8世と向かい合う神々の姿。
大きな写真
ヒヒを肩に乗せ、ひざまずく男性の像
新王国(B.C.1292-1186頃)
玉座に座るオシリス神のうしろでひざまずいている男性。
未完成ということですが、ヒヒはできあがってる感。
守護している姿が愛らしくてよいです。
右の大きな写真
パタイコスの護符。
末期王朝-プトレマイオス初期
(B.C.664-250頃)
小人パタイコスは、当時
高い人気を誇った守護神。
子どものようですが顔つきは
しっかり大人ですね。
淡い緑色のファイアンスです。

パピルスの巻物を持つ神格化された
イムヘテプの座像。
第3中間期(B.C.746-655頃)
建築監督官兼医者で、サッカラの
階段ピラミッドを完成させた人物。
高い知識を持つ彼は、常にパピルスと
セットで表現されているそう。
大きな写真
創造の卵を持つスカラベとして表現された
原初の神プタパ
第3中間期(B.C.746-655)
スカラベと一体化した僧侶の
恍惚とした表情がなんとも不気味。
太陽の船に乗るスカラベを描いた
パネヘシのペクトラル(胸飾り)
新王国(B.C.1186〜1070年頃)
青いスカラベと赤い背景が印象的。
鏡に映された裏の彫りも見事です。
ぜひ現地で実物を見てください。
大きな写真
カルナック神殿のアメン神官ホルの
方形彫刻。第3中間期
(B.C.875-873 or B.C.790-762頃)
体が四角いのは、かがんだ状態で
ローブに包まれているからです。
大きな写真
プタハメス墓のピラミディオン
新王国(B.C.1388-1351頃)
ピラミッドのてっぺんなどに
乗せらてきたピラミディオン。
新王国時代に入ると、役人の
記念碑的墓に使われるように。
以下、アマルナ時代
ネフェルティティ王妃あるいは王女
メリトアテンの頭部。
新王国(B.C.1351-1334頃)
未完成品とは思えない美しさ。
ネフェルティティかと思いきや、
若すぎとの理由から娘の可能性高。
大きな写真

アクエンアテン王の頭部
を描いたレリーフ断片。
新王国(B.C.1351-1334頃)
面長、切れ長な目、厚みのある唇…
特徴的な顔立ちの彼は、像でも
レリーフでもすぐ見分けられます。
アクエンアテン王とネフェルティティの
娘である王女の頭部。
新王国(B.C.1351-1334頃)
6人の娘がいるそうで、そのうちの
どなたか。目元は母親似ですね。
棺台の上のトトメス王子の小像。
新王国(B.C.1388-1351頃)
若くして亡くなった王子。胸元では
バー(魂)が翼を広げている。
その弟が、のちのアクエンアテン王。
アクエンアテン王の立像胴部。
新王国(B.C.1351-1334頃)
男性なのに女性のライン?!
身体は静的ですが、曲線表現は
ギリシャ彫刻のようでもあります。
大きな写真
アテン神の2つのカルトゥーシュを
持ち上げるアクエンアテンを描いた
奉納タブレット。
新王国(B.C.1351-1334頃)
アクエンアテンはアメン神の神官の
力が強大化したことに危機感を抱き、
アテン神を唯一の神としました。
ハヤブサの頭部を持つ儀仗の破片。
新王国(B.C.1351-1334頃)
方解石の神秘的な乳白色、スフィンクスで
見るアラバスタ―に似ているなと思って
調べました。古代エジプトでいう
アラバスタ―は方解石でいいようです。
植物文様が施された青色彩文土器。
新王国(B.C.1351-1334頃)
高さ50cmのかなり大型の土器で、
おそらく貯蔵用。
焼成前の彩色で、再生・復活の象徴
ロータスがしっかり残っています。
大きな写真

次は
3章 死後の審判


プロローグ1.天地創造と神々の世界2.ファラオと宇宙の秩序3.死後の審判[新博物館]1.神殿装飾2.埋葬品


▲ページのトップへ戻る