[ 南イタリアの古代都市・ポンペイ編 ]

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ポンペイの公共建築(浴場と競技場)

ローマ時代の文化の中で、風呂文化の日本人にとって身近に感じるテルメ(公衆浴場)。観劇やスポーツなど現代人に通じる娯楽もあり、ローマ人が身近に感じる空間です。 (★:特別展ポンペイでの撮影写真)
体育施設と公共浴場
■フォロの浴場
フォロの浴場(テルメ)
ポンペイには5つの公衆浴場が残っていて、更衣室、冷水、ぬるま湯、温浴など
いくつかの部屋からなっています。写真は温浴(熱い浴室)に行く前のぬるま湯浴場。
壁がんにはテラコッタ製の巨人像が並んでいます。
天井にはテラコッタのレリーフ。
水浴場。
フォルムの浴場は、地震後すぐ修復されて
噴火の時まで利用されていた唯一のテルメで
原型もよく残っています。
温水浴場。壁がはがれたところをみると
2重構造になっています。隙間に暖かい
空気を流して、部屋を温めていました。
★ストリギリス(肌かき器)
ブロンズ製。スポーツのあとの
肌の汗や砂を拭うための道具。
浴場近くには体育場あることが多い。
★香油壺
ブロンズ製。中に軟膏や香油を入れ、
ストリギリスとセットで使用。
蓋を鎖でつないでいるのがGood。
■スタビアの公共浴場
スタビアの公共浴場
ポンペイ最古、紀元前2世紀のテルメ。
入口天井の美しい装飾。奥は脱衣場。
水浴室。
床下の暖房設備のあとが
よくわかります。
焼き土の板で作った空間に、
熱い空気を循環させていました。
ぬるま湯の浴室。
壁がんには何が置かれて
いたのでしょう。
温水浴室。
大理石の湯舟。
温水浴室。ほてりをとるための水盤。 壁面の装飾。赤や黄の着色も。
柱廊越しに見る体育場。
体育場が併設された浴場は多く、
スタビアにはプールまであって、
立派なアミューズメント施設です。
中庭に面する建物。
壁面には繊細なスタッコ(化粧漆喰)の
装飾が施されています。
劇場と円形競技場
辻音楽師
キケロ荘エクセドラ出土。
仮面をかぶった楽師を表したモザイク。
※京都会場では展示なしでした
★俳優
(カロリーナ妃の家)
本当に劇場で歌っているような展示でした。
★俳優(悲劇の若者役) ★俳優(女性役、おそらく遊女)
■大劇場と訓練場
大劇場
ポンペイ唯一の劇場。自然の斜面を活用。
当時は総大理石だったそう。今でもところどころに残っています。
劇場のとなりに、大理石のドーリア式柱廊に囲まれた剣闘士の訓練場。
中央のスペースでは、訓練でなくショーが行われていた期間もあったとか。
★パレード用の兜
訓練場から兜や鎧、剣などが出土しています。
特別展では、兜と肩当て、脛当てを展示。
★パレード用の兜
特に目を見張る装飾は、トロイア
陥落が施されたブロンズ製の兜。
■闘技場
ポンペイの闘技場は、紀元前70年築。
現在知られるローマ時代の闘技場の中で、もっとも古いとされています。
(よく知られるローマのコロッセオは紀元後80年築)
観客席は円形のアリーナで3層構造、収容人数は2万人。
円形の大阪城ホールが6,200人をと考えると、その3倍を超える収容人数ってすごい!
観客席 競技場内の通路
■公道
ノラ通りとスタビア通りの交差点
ポンペイの街は8つの門をつないだ通りで区画整理されています。
フォロから少し離れた第5区画周辺は、違った趣があります。
ポンペイの入口となる門のうち、見る
機会が多いのは港側にあるマリーナ門。
遺跡観光の主要入口になっていて、
いつもは人通りが多いですが、
朝一はさすがに静かです。
飛び石と轍のあと
歩道は一段高く整備され、雨の日も安心。
(フンも多かったのではと…)
車道には馬車の轍がくっきり。車輪の幅は
規格化されていたんですね。
玄関前には馬止めらしき石造の突起もあります。
道の行き止まり。
車輛が行き来できるのははここまで。
公共水道
ポンペイにはところどころ
当時の水場が残っていて、実際に
水が出る場所もあったりします。
次は ポンペイの信仰と神々(その1)

プロローグ公共建築(フォロ)公共建築(浴場と競技場)信仰と神々(その1)信仰と神々(その2)豪奢な邸宅(その1)豪奢な邸宅(その2)人々の食と社会(その1)人々の食と社会(その2)番外:ヴェッティの家

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